Kakyo's Diary

気ままな日々のことブログ

わたしのあれこれをご紹介vol.2




夏郷です!( ¨̮ )


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今回は家族について書きますね!

苦手な家族

自己紹介で少し話した家族について家庭環境を書いてみようと思います。

家庭環境もいろんな状況があると思います。

両親が離婚している、死去している、施設で育っ人など様々です。

わたしの家族は友だちに話しても理解してくれないような事だし、実際に話しをしても理解してもらえず自分のことはあまり話さないようになりました。



自分のことを表現するのが下手だとか、何考えてるかわからず感情がわからないと言われたことあるけど自分でも本当にそう思います。


わたしの性格もありますが、付き合いの中でそこまで深く関わりたくないと思うと基本的に心を閉じて距離感を保って接してしまうのでそう見えるのかもしれないです。うまく言えないけど、誰もかれもにオープンにしないだけで、対応はそれなりに親しいです。

仲良い友人の前ではふざけたり明るいですよ。



家族の話しに戻りますね。


●父


とにかく説明すると面倒臭いし、周りに話した所で理解されないような環境で育ちました。


私の父は生粋の亭主関白。全ては父が中心にまわっているのです。キレるスイッチが入るのも早いです。


物心ついたころから父は怖い存在でした。


穏やかな時もありましたが本当に機嫌がいい時だけです。父はとにかく何もしない人で小さい頃はとにかく母が一人で色々奔走して兄と私を育ててくれていたんだと思います。

母は、私達が小さい頃は病気しても助けてくれないし、とにかく大変で歯痒さでいっぱいであったと愚痴を漏らしていました。


よく共働きの両親の為学校が長期休みのたびに、祖父母に預けられていたので孫の私にとっては大好きなおじいちゃんおばあちゃん。


すっかりおじいちゃんおばあちゃんっ子です。


母は祖父母が苦手のようでした。


今思えば、おなごは〇〇してはいかんとよく言っていたのでおじいちゃんは厳格で厳しかったのだろうと思います。


ちなみにおじいちゃんはモアイ像に似てる!笑


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父は、帰ってくるとまずお風呂に入るのが決まり。
お風呂が入ってないとほとんどの場合舌打ちをしてキレていました。


父が1番風呂ってお決まりのやつです。



でも、本当に現場仕事で汚いのに先に入るのでお風呂の湯が汚くて臭くて、小さい頃は気付かないでいましたが物心ついた時には汚くて、湯に浮いたものをすくってきれいにして入るか、その後に入りたくなかったのでシャワー浴びてました。


思春期乙女には無理だった。



兄も柔道をしていて思春期真っ盛りで汗臭くてダブルパンチでした!
母は全然臭くないと言っていてありえなかったです。





母は忙しくしていたのもありますが掃除が得意ではなく、どちらかと言うと散らかっていて汚い家でした。料理は上手で手際も良かったので見習うところですね。


散らかった家なのでわたしは自分の周りや部屋は片付けたりするようになり、綺麗好きになりました。


父はお風呂出たら夏ならビール、冬なら日本酒を温めて用意しておかないといけません。
晩御飯とは別にさらにお酒用につまみになるようなもの作らないといけない父でした。

なのでわたしも色々できるようななると、父がだいたい帰ってくる時間に合わせてお風呂つけて、母が料理してる間にテーブル準備して、お酒用意して連携プレイが出来ていました。


母は晩御飯と一緒にお酒を飲んで欲しいのに、父はお酒を飲み終わって酔っ払って一眠りして、起きて"めし!"ってなるので本当に大変そうでした。
なので、みんなが食べる晩御飯が父にとってはつまみで、その後にご飯という感覚で、母もお茶漬けとか適当に手を抜いていました。


わたしもいちいち作りなおすの嫌です。



ご飯食べる時には全て命令で、醤油もってこい、酒持ってこい、皿持ってこい、七味持ってこいなど、たとえ何かをしていても中断しなければならず、自分では動きません。



たまに、ご飯食べたじゃないのって母が抵抗するとキレて目付きが変わり、とりあえず暴言を吐く、足りなくてものを投げつけてというのが度々ありました。


さらにエスカレートすると殴りかかってくるので、2階に逃げてって母が逃がしてくれていました。



ある時は、たまたま父がキレている時に兄がお腹痛くてトイレに入っていて鍵をかけていました。父はトイレに行きたいのに行けないのでスイッチが入ってしまいました。

トイレのドアのまえで怒鳴り散らしドアに大穴開けて、兄が鍵を開けたら父がドアを勢いよく開けてすぐ兄の顔面殴り、口がキレて3針縫う怪我をして災難なこともありました。



兄もわたしもある程度成長すると、だいたい流れは分かっているので晩御飯食べたらすぐ2階に上がっていました。


会話は父が中心に話しますが下手に会話すると怒らせて大変なので、おかげで顔色を伺いながら接する能力が身につきました。


テレビも父が主導権を握っているので好きな番組はほとんど見られず、学校でも話しについていけなかったり、仲良しだけどどんどん孤独になっていくばかりでした。

どうしても嫌で見たいって駄々こねて抵抗するとお前何様だと父に暴言を怒鳴りつけられ、胸ぐら捕まれたり、蹴られたりとかして母が庇ってくれました。度々同じことをやって母は、私が怒らせたと責められました。兄にとって私は余計なことばっかりするやつでした。



とにかくめちゃくちゃで近所付き合いもあまりなかったです。地域の係の当番くらいです。



今でこそ柔らかくなりましたが本当に嫌いです。笑

仲は少しいいですね!

昔とは大違いですね!



家ではとにかく孤独でした。



安らげる場所ではなかったのは確かですね。

友人と仲良くなるにつれて家に遊びに行ったりすると家族が仲良くてびっくりしたのと圧倒されたのを覚えています。私の家とは全然違うのだと。

小学生の低学年の時には気付かされました。

比べては行けないのだけれど比べずにはいられないくらい優しそうな友人の父が羨ましいと感じたりしました。




●兄


兄は運動神経抜群で何やってもうまかったので母は兄に対して一生懸命でした。
何に対しても兄が優先されていました。


わたしは運動神経全くだめで、スイミングスクール通ってましたが泳げないまま辞めてしまい、他にハンドボールもやって母は全く着いてきてくれず近所の人がお迎えしてくれてましたが、母は付き合いが嫌で、何となく子どもながらに何か大人が言っている気がしてハンドボールも辞めてしまいました。ピアノも続かずやめて、英語と習字をずっと続けて頑張っていました。


とりあえず何やってもダメな子と習い事辞める度に兄と比べて言われたりもしました。自分も習わせてもらったのに辞めてしまったから自分が悪いけれど母に否定されるのがすごい嫌でした。



流行りのものはまず買ってもらえず、漫画でも何でも、兄に対しては甘く欲しい物はほとんど持っていたので全ておさがりで、女の子の遊ぶものがなく、近所の友達の家で遊ぶだけでした。

話しも合わせて学校でも家でも顔色を伺いながら接することがあたりまえで、成長していきました。


3つ離れた兄にとってはわたしが身近な遊び道具で絞め技されたり離れていてもわざわざ近づいてきて叩いたりするので、常に泣いていました。

柔道をしていて強いのに自分では加減が分かってないのか顔に枕を押し付けられ、毛布を被せられた上で上に乗られて本当に意識を失い死ぬかと思うことがあり、母に言うわたしが近づいたのが悪いとわたしを責め、兄には一切何も言わずにただ泣き叫ぶ私を責めるだけでした。

まだ小学生のわたしは弱く母だけしか頼れる人がいなかったけれど本当に心配してくれないのは悲しかったのをすごく覚えています。




わたしは、生まれつき甲状腺が悪く定期的に病院に行かなかければならず、薬さえ飲めばそれでOKです!




母はわたしを産んだ時に病気の子と分かり、家族(祖父母)から、父と結婚したからとか、母がちゃんとしてないからとか色々言われ責められ悔しい思いをしたそうです。

あまり知識がないからこそそう言われたんだと思います。

母は、明日の学校の用意や体操服、部活着、お弁当などありとあらゆることを兄に対してはやってあげていました。

わたしは小学生で兄は中学生でも兄中心で、何かと女の子だからやりなさい、男の子は出来ないからやってあげないといけないのって言われたり、わたしは病気で手がかかるから、ちゃんと面倒みてあげてるなど理不尽な理由で全く対応が違うのも理解出来ませんでした。


兄妹の対応の違いに対する妬みのかたまり。


とにかく女であるなら男優先するのがあたりまえで親戚もそうです。


ほんとにも面倒臭い!笑



今ではしっかり鍛えらたからよかったなぁって思ってます。



こういう幼い頃の記憶ってなかなか消えないですよね。

極力関わらないでいいなら関わらないようにしてます。